今回は、珍しく戦国武将のことなど書いてみます。
元々歴史は好きな方で、歴史ものの小説とか漫画とか割と読んだり観たりする方です。
で、今回は三好長慶(みよし ながよし)という武将について纏めてみました。
実は三好長慶という武将のことはあまり知らなかったのですが、ちょこっと調べてみたら中々に波乱万丈な人生を歩まれた方のようで、興味が沸きました。
三好長慶ってどんな武将だった?
三好長慶は、畿内や阿波国を治めていた大名で、室町幕府の摂津国守護代、相伴衆でもありました。
1522年2月13日、細川晴元の重臣である三好元長の嫡男として、今の徳島県三好市で生を受けました。
長じて主君筋の細川政権を事実上崩壊させたり、将軍の足利義晴、足利義輝共々京都より放逐し、三好政権を樹てたり…と、結構あれこれやってのけてた武将だったんですね。
なのに、歴史の授業では全然記憶に残ってないんですよね。この頃の有名どころはやっぱり織田信長とかだったし。観たことある歴史もののドラマとかでも……印象に残ってない(–; 何故かなあ。
織田信長より20年も早く天下を治めた?
戦国時代の最初の天下人といって、まず思い付くのは織田信長なのですが、三好長慶の方が、織田信長より20年位も前に天下人になってたんです。
当時の足利将軍を追放したり、戦の時に鉄砲を使ったり、キリスト教を認たり…、織田信長がやったんじゃないの??って思いましたがこれらのことは、実は三好長慶が先にやっちゃってたんですって。
え?! って感じですよね。
歴史の授業では、信長さんがやったと習ったよ、あたし。
三好長慶の領地はどこ?
三好家の領地は、全盛期には摂津を中心に山城・丹波・和泉・阿波・淡路・讃岐・播磨などに及んでいました。また、近江・伊賀・河内・若狭などにも影響力を持っていたそうです。
現在の近畿地方の広範囲に渡ってますよね。
結構広いです!
三好長慶の晩年はどうだった?
有能な武将だった三好長慶ですが、その晩年は必ずしも安穏ということではなかったようです。
弟である十河一存の没後、和泉支配が脆弱となった辺りから衰退していってます。
しまいには松永久秀に「弟の安宅冬康が謀反を企てている」と唆されて、自ら手を下してしまいます。
諫言にのって、弟をタヒなせてしまうなんて……
有能と評価の高い武将の身に何があったのか。
長慶の没後は、三好家はふたつに分裂してしまい、その隙を突いた織田信長が上洛に成功。織田信長の天下統一が始まるという訳ですね。
まとめ
鉄砲の使用やキリスト教の公認といった、織田信長が始めたこととされていた
歴史上の史実が、実は、三好長慶の方が先だった…という、何故そういうことに
なってしまったのか…
謎めいた部分も多い、三好長慶は色々と興味深い武将です。
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